冊子表紙 長野県農業会議発行の認定農業者経営改善事例集に紹介された永井農場の記事を紹介します。
2005年3月取材(取材協力 長野県農業会議)

酪農による有機リサイクル農業で米作り。
10年先の地域のために夢を語りあいたい。

永井農場のスタッフ 特別な米どころではない地域で、酪農からの堆肥で土作りに重点をおいた「おいしい米」を栽培。永井農場独自の販売ルートとやる気のある人材の育成で、地域のライスセンターとしての役割を担う。

農場のユニークな特長
「有畜複合経営」で実現する有機リサイクル農業

永井農場の事務所農業生産法人で、有限会社の永井農場は、お父さんの忠さんが代表、長男の進さんが専務を務める米作りと酪農を組み合わせた有機リサイクル農業が特長だ。いま、農場経営の中心的な役割を果たしている進さんはまだ30代という若さ! このエネルギーも永井農場の大きな力だ。

僕は昭和46年生まれです。生まれたときは家族経営の農家でした。小さいときからそういう環境だったので、ぼんやりと、こういう仕事がいいなあとは思っていました。だから中学を卒業してすぐ北海道の酪農学園大学の付属高校に入ったんです。男子校で全寮制の学校でした。北海道が約8割。2割が内地の人で全国から集まってきていました」。

15歳...。忠さんの言葉を借りれば「牛を放牧に出すようなもの」だった。

何もわからないから逆に行けたかもしれない。親から離れ、遠い北海道の大地で学んだ体験が今の進さんの原動力になっている。

北海道で5年間学び、20歳の時に東部町、現在の東御市に帰ってきた。

進さんが加わり、忠さんがやってきた農業をさらに進化させた形の農場づくりへ、ここから挑戦が始まっていくことになる。

「米が主体です。米・酪農・果樹・野菜・農産加工・そして作業受託。こういったところが柱...。というか柱がいっぱいありすぎですね。(笑い)米の生産は15haくらい。それから酪農が搾乳牛で25~26頭。育成牛合わせて40頭くらい。果樹は巨峰で70aぐらい。もう2年くらいすれば50aくらいになります。今古いものと更新しているところです。畑はいろいろありますが、専門としては、とりあえず今年はアスパラガスが60a、その他野菜で30aくらい使うようになるかなという感じ。農産加工品は冬場の餅加工です。委託加工のものは、味噌・煎餅・玄米茶など。原料をメーカーに委託して、原料を加工してもらって戻してもらい、うちの商品として販売しています」。

特別な米どころでもない東御市で、米を主体とした農業で勝負する。永井農場の根幹でもある米作りは、忠さんが選んだ方針だった。

「米作りは農業の基本ですよね。日本民族の基本だから、どこのうちも米を主体にやっていたんだろうと思う。だからずっとあったんだと思う」と忠さん。しかし、永井農場の米作りは、普通の米作りとはちがうこだわりがあった。

永井農場サイロ 「もともとうちは牛がいたということで、田圃に堆肥を入れることができた。それが以前から普通だったし、そういう形がこれからも普通だった。時代的に消費者の志向が有機栽培に移ってきたのが、ちょうど平成3年の頃。お米の食味計という、いわばお米を点数で出す機械がちょうど10数年前に出始めた頃に非常にいい点数が出て、これは直接販売したほうがいいという話をあちこちからいただいたんですよね」。

ごく自然に、あたりまえのようにやってきた酪農と米作り。牛の堆肥を入れ込んだ有機肥料の田んぼから穫れる米は、味が違った。それがはっきりと数字になって表れた。

「この地域はブランド米の地帯ではありません。東御市は巨峰などの果樹のイメージが強い。でも実際食味計で見たら近所の米どころで穫れた米より点数が高かったんです」。

東御市だからではなく、永井農場だからおいしかった。この時、忠さんは、米作りはやはり肥料や作り方で変わってくると確信した。いくら有名な産地でも、いいものもあれば逆のものもある。米の直販をやってみよう、と。

直販を始めると消費者の声がどんどん返ってきた。それが大きな励みになった。

「米もほかの農産品も、生産者に消費者の声が返ってくることはほとんどないんです。出したら農協にお金が入ってそれでおしまい。だからお客様が誰なのか見えていなかった。うちは産直をやって、自分が何を作るべきかとか、誰に何を作ったら誰が喜んでくれるかという視点でもの作りができるようになった。これがかなり大きいと思います。だから農産加工品も徐々に徐々にお客様たちに喜んでいただけるものを少しずつ作っていくという、今の形がこのときからスタートしたんです」。

食べる人の顔がわからない。食べてもらう食卓のイメージができない。食べる人も作ってる人が見えない。そういう関係が、農業や食文化の世界をちょっとずつおかしくしてきた原因なのではないか、と進さんは言う。

当たり前のことを、当たり前にやっていく。永井農場の基本は、昔も今も変わらない。

「一番の特長は『有畜複合経営』。牛を飼いながら堆肥を田圃や畑に返して、そこで循環する。それが一番の売りです」。

稲作で出るもみ殻やワラは酪農に活用し牛糞は1年かけて完熟させた後、堆肥として田に還元する。12月に土を耕しておくと、冬の間に土壌中の水分が凍って土は細かく整い、米作りに最適な環境を自然と作ってくれる。自然の摂理に基づいた方法をとれば、化学肥料を最小限に抑えて「安全で美味しい米作り」と無駄のないリサイクルが実現できる。進さんが北海道で学んできた土づくりだ。

牛 少し前まで、どの家にも牛はいた。しかし今、畜産をやる人はだんだんいなくなって、結果的に永井農場のようなやり方をしている農家はほとんどいなくなってしまった。時代に逆行していたかもしれないが、結果的に畜産をやってきたことが永井農場にとっては大きな力となっている。

「複合でできるというのはすごくメリットが大きいです。今までの農業政策は稲作や畜産など、単一で大規模の経営体を育てていこうとしていましたが、私たちの地域ではなかなかその政策にあてはまらなかったので、現在のような複合型の農業になってきたと思います」。

北海道でもなく、隣の地域でもなく、この東御市ならではのいいバランスというのがある。

将来の夢やビジョン
農業を担う次世代のために「場」を作り夢を語りたい

牛舎 永井農場のもうひとつの特長は、スタッフがほとんど若いということだ。みんな全国各地から自分で手を挙げて集まってきた。

「全国新規就農ガイドセンター(全国農業会議所内)の新・農業人フェアーというところで、農業をしたい若い人や、これから農業をしたい人を雇用したいという農業者が集まって、そこでガイダンスのようなものがあるんです。そこにスタッフ募集を出しているんです」。

スタッフは一部研修という形もあるが、ほとんど社員。だいたいが非農家の出身だ。農学系の子たちが半分。あとは経営・経済など関係のないところからの人もいる。新規採用の平均年齢は22~23歳。大学の新卒にあたる年齢だ。もちろん、すぐには戦力にならない。でもそれでいい、と進さんは考えている。

「何を目的でその人たちを採用するかということです。即戦力でただの労働力、労働者として採用するならそれはそれですが、私たちはそういう意味で今まで採用してきていない。ある意味、パートナーとして一緒にやっていく仲間を作るということをやらなきゃいけないと思ってやってきているので、そういう面で言えば、だんだん力になるよう育っていってもらえばいいと思っています」。

スタッフは役員をのぞくと5名。

このメンバーで組織としてどういうふうに基礎を作っていくか、そろそろきちんとした形を作っていこうと、今年から責任者を決めて取り組み始めた。

「その人たちがやりたいことを少しずつこの場を使って表現していってくれればと思っています。家族経営から農業法人にするということは、家族だけではもうこの地域の活性化などの部分は難しいから、意欲のある若い人達と一緒に農業をしたいと思ったのがスタートなので」と忠さん。

永井農場には、「これをやるぞ」ということはそんなにない。みんながやりたいことをやっていく。経営者のやりたい仕事をするためにスタッフを集めるのではない。やる気のあるスタッフがやりたいことをやっていくのが永井農場のスタイルだ。

代掻き 進さんは言う。「ここは、それぞれが可能性を見つけてやってみる場であればいいと思っています。たまたま私は農家の息子に生まれただけであって、そういう場で農家の跡取りとしているわけだけど、こうして会社になった以上、農業を本当にやりたい人が集まって来てこの場を使って、ここの地域の中で、本当に農業でやりたいことを表現していけば、何らかの形で地域の農業の活性化にもつながると思っています。永井農場だけが、という視点ではなく、私はこの地域もすごく大事だろうと思っているし、若いスタッフにもそういう話をしています」。

日本各地から志をもって集まってきた若い人たちといっしょに自分たちがやりたい農業をやっていく...。次世代のために「場」を提供してあげられる喜びを忠さんは今かみしめている。

「私、思うんですが、農業をやれる人って日本ではごく僅かしかいないと思うんです。その中でやっている人が楽しそうにやらなければ、次にやる人は生まれないと思ってるんで。ある意味、私は楽しいと思っています。作業的にきつい時もあるけれど、こういう農業ならやってみたいとか、こういう農業っていいなあと思うことを実践していかないと、次はできないだろうと思っています」。

農業の厳しい側面ばかりがクローズアップされ、関係者が集まっても愚痴ばかりというときもある。そういう状況であればこそ、農業の楽しさや、若者がやってみたい新しい事を打ち出していくのが、親の世代の責任だと忠さんは考える。そして、農業の可能性も、まだまだいっぱいあると。

種まき 「だって辞めて行く人達のほうが多い世界ですからね。その中でいかに私達が生かしていただけるかということを考えたら、可能性なんか山ほどあると思いますね。食べ物ですし。これから一番大事なことになってくる、そういうところに携わっていますから。やることは山ほどあるし、やれることも山ほどあると思います」と進さん。

「自分としても、先を楽しみにしていますから。その中で、もうこの年になるとあと何年しかできないというのが頭にあるんですが、今、私が30代40代だったら本当にやりたいこといっぱいある」と忠さん。

親がやり始めたことがようやく花開いてきて、息子より若い世代がここで働いてみたいとたくさん集まってくる。

「昨日も夢について書いたんですが、やはり夢があると楽しいし、夢を語ると共感する人がついてくる。やっぱり夢を語らなくちゃいけないなあと思います」。

夢...。60歳を過ぎて夢を語る忠さんは、誰よりも今を楽しんでいるように見えた。

農場の生産の目的
命に直結する食物を作る責任、地域全体の農地・農業を支える義務

苗代 上田や小諸のベッドタウンとして開発が進む東御市は、交通にも住環境にも恵まれている分、農業地帯としては中途半端な面もある。農地の荒廃も進んでいる。

「農業を本当にやりたい者とすれば農地は国土の一部であり、農業者は安全でおいしいものをたくさん作る義務がある、というくらいの思いでやってきました。単なる資産として持っているだけの荒廃地が都会の人にどう受け止められるか、申し訳ないぐらいの気持ちをもっていました」と忠さん。

中山間地の圃場条件の悪い場所にある荒廃地を少しでも減らして農地として利用していくことで農家のお手伝いをしていきたい。農業生産法人としてやっていくからには、そういう地域に対する責任をどう果たしていくかが大事なのだと。

「私たちは減農薬・有機栽培ということもやっています。でも究極として無農薬の栽培だけに取り組む農場になろうとは思わないんです。よく、『JASの有機認証をとらないのか』と聞かれるけど、もっと広い範囲の農業と、生きる糧としての食糧をきちんと作る生産者でありたいという思いがあります。一枚の田圃だけを維持していく農家にはなりたくない。この地域全体を考えられるような経営をしたいと思っています」。

耕された農地の風景は本当にきれいだ、と忠さんは言う。美しい田や畑を耕す喜び、それを守っていく責任が、農業生産法人にはあるはずだと思うのだ。

しかし、直販で作物を販売すると「儲けに走っている」と言われ、ちょっと記事に書かれると「スタンドプレー」と非難される。地域のもっている嫌な面がやる気を奪っていくこともある。

「農業者はみんなそういう形の中で生きてきたと思う。だから発展につながらなかったんですよ。でも、どこかで健全な経営を前提にやっていかなくては地域全体がダメになる」。

稲 農業での健全な経営とは、最初に食べる人=消費者がしっかりみえる関係作りをして、皆様の理解を得て食べ物として届けることだ。今は、農作物の流通過程に中間の方が大勢いすぎる。その人達みんながいけないというわけではないが、ある意味、生産者と消費者がもっと近づいていくということが必要なのではないか、と思う。

それにはまず、言葉を尽くして伝えていくということも必要だ。

「こういう理由でこういうふうに作っています、ということも含めて伝えて発信していかなくてはいけないと思います。これまではそういうことがなさすぎましたから。農協や市場など大きな集荷だって、結局作る人は作っていて食べる人はただ買うだけで来てしまったことが今の状況になっているんじゃないでしょうか。もちろん農家の怠慢もあったと思います。ただ技術員の言うとおりに作っていればお金になるというところもあったから。でもそれはやはり違うと思う」。

他の業界では、必死になって取り組んできた消費者に受け入れられる努力。農業だけがそれができていなかった。

稲穂 農業の世界が取り組んでこなかったことをやっていく。作り手の側から情報を発信し、互いに足を引っ張り合うようなことをやめて、もっと地域全体を考えていくことが、自分たちの責任であり、目的でもある、と考えている。

「わかってもらって作るとすごく楽しい。やっただけのことが結果として現れるから」。

永井農場は、信念に基づいてすでに一歩を踏み出した。「永井農場は、いいよね」とよく言われるけれど、最初はみんな同じ。始めるか始めないか、一歩そこをやるかやらないかだけの違いだと進さんは言う。

生産システム
人は使い捨てにしない。
みんながお互いの幸せを考える仲間でありたい。

永井農場は忠さんが社長として経営を、専務である進さんが企画・営業・総務を担当、義弟の小笠原さんは生産の責任者というように、一応役割分担がなされ、それぞれが研修会に出たり戦略をねったりしながら組織的に動いている。といっても始まったのは数年前から。

「最近やっと一人一人がそういう意識をもって動けるようになってきたところ。うちは親子でやってきて、社長が生産をして私が外に出るというベースがあるので、これから新しい人材が入ってきたら、その人達のカラーで考えていけばいいと思っています。農業に入ってくる子たちは本当に土に触りたい牛が触りたいと言って入ってくるので、事務屋はやりたがらないんですよ。俺も好きじゃないんだけど...。(笑い)」

でもそういう部分がわからないでは困る。一度は事務的な仕事も体験したうえで、みんながオールマイティな営業感覚、経営感覚を身につけていけたら最強だ。

「最近ようやく私もそういうことを言えるようになってきたところです。少しは自分達が経営者としての意識をもって仕事をするようになってきたのかな。(笑い)」

稲刈り 永井農場は、人は使い捨てにしない。パートナーとしての人を採りたいという。どうすればみんなが幸せになれるか...。各個人も社長もお互いにお互いの幸せを考えていけるような会社であり仲間でありたいと考えているからだ。

「できるできないで切ったり捨てたりしない」。これが社長の考えだ。

本気で農業に取り組んだら、人間も自分も自然に育ち、治っていく。農業や自然から学ぶことはとても大きい。種にいろいろあるように、人にもいろいろあっていい。農業に向き合っていれば、人は自然に学んでいくから。

「うちは敢えてヘッドハンティングなどはせず、能力があるなしでも学歴でもなく、気持ちのある若い人たちがここで楽しく働けるかという視点からしか人選はしないと決めています。いろいろな子たちがいっぱいいるけれど、それも面白い」。

この農場でいろんな個性をもった若者たちが育っていく。作物も人間も、環境さえよければきちんと育っていくのである。

異業種交流
会いたい人には会いに行く。
欲しい情報はどこにでも行く。

企画や営業を担当する進さんは、いわば永井農場の外務省。どれだけ外の人たちと会って、情報収集してくるかが重要だ。

「私は直接生産にかかわる時間が少ないので、異業種の方と自由に会って、勉強し、かなり情報を得ています。今、自分の根っこの部分を作っていく時間を取れているので、今までは農業者ばかりが集まる会ばかりで、しかも畜産をやっているとなかなか遠くに出かけられなかったんですが、今はスタッフがいて自分が動けるので、行きたいところ、会いたい人のところへは、どこでも行きます。欲しい情報があればどこにでも行く。それを大事にしています」。

進さんは、とくに今長野県の特長のある企業の社長たちとよく話をする。農業をよくしていかなくてはいけない、というテーマも異業種間で取り組むほうがいいヒントをもらえたりすることが多いそうだ。

「ただ、だめだとか困ったという話でなく、もっと違うところにどんどん飛び込んでいって開かれた世界にしていくことが大事だと思うんです」。農業の抱える問題を農業関係者だけで話していても何の解決にもならない、と進さんは言う。

はぜかけ 異業種の方の話にヒントを得る事も大いにある。商売の話に直結しなくても、経営者としての考え方も学べる。

東御市に住むエッセイストの玉村豊男さんや、デザイナー、マスコミ関係者など、あらゆる業界の人と垣根を作らずにざっくばらんに話をし、大いに議論するなかで、「なんだそうだったのか」と悩みが解決することもある。

また、外国製の農機具のおもちゃを集め、ゆくゆくはインターネットでショップを作って販売して農業の豊さ、楽しさを多くの人へ伝えていきたい。農業を中心にしたさまざまなつながりが、ネットワークの中から育っている。

販売戦略
外で結果を出し、その評価をもって地元で勝負。

永井農場は、販売ルートも自分たちで開拓してきた。価格も自分たちで決める。自分で作ったものを自分で値段を決めて販売するのは厳しいけれど、やりがいがある。それこそが商売の基本だからだ。

「自分で納得できる価格で販売していかれる世界を作りたいんです。そういうことがある意味農家としては大事。そうでなくては経営にならない部分があると思います。ただ農協に出荷したままで、いくらになるかわからないで作っていては、本当の経営ではない。安くても高くても、自分が作ったものを『これでいい』と納得して売っていくことが経営だと思うんです」。

ライスセンター 農協が良いとか悪いとかではなく、使い分けはしていくべきだと進さんは考える。

「巨峰なども直売したり、愛知県のスーパーマーケットに送ったり、流通の中ではなるべく販売状況がわかるところで売っています。うちのマーケティングの考え方として、量を売るよりも、うちの商品を理解して育てて頂ける販売先に商品を入れていきたいと思っているので、『あそこの店の商品なら買ってみたい』と自分が思えるようなところに、まず自分の商品を置いてみたいんですよね。そこで時間をかけて営業していく。苦労してでも少しずつその売り場の中に自分たちの場所を確保していけるような営業スタイルをしたいと思ってやっています」。

永井農場の名前を出して売っていくということは、ある意味厳しいけれど、そういうことを積み重ねなければいい商品を作れない、と思うからだ。

米の直販も、「東部町」のレッテルを貼って出していた時は、地域的な固定概念があってだれも興味を示さなかったため、販売はとても難しかった。それが「信州の永井さんちのお米」ということで首都圏や都会に出して行くと、地域的な固定概念がはずれて、本当の客観的な品質勝負や提案力で勝負ができるようになった。

精米 「私たちはこの地域の米をここで評価してもらうよりも、都会の卸やお米屋さん、スーパーマーケットで評価していただくような努力をしてきました。それがいつか、きちんと認めていただいて花開いたときに、逆にこちらにフィードバックできると思うんです。そしてゆくゆく『ああ、東部の米もよかったんじゃない』ともっていくのが夢。ここでなかなか感じられなかった人に、東京で評価してもらうことで再評価してもらいたいんです」。

最初の一歩は、まず「ここに置いたらクオリティーを認めてもらえる」という店・スーパーマーケットに置いてもらうこと。そこの売り場に入っていくこと。その中で販売実績をつくり、販路と商品が定着してくれば、地元の百貨店やスーパーマーケットに提案するとき必ず生きてくる。

「地元の意識も徐々に変わってきています。なんとか変えていきたい。平成16年に長野県で実施している米の原産地呼称管理委員会認定をうちがひとつ取ったことで、また変わった部分があります。私たちはこの地域の皆さんの意識が変わればいいと思っています。ここだっていい米ができる、ここは恵まれた地域だ、ということが浸透していくことで、活力が沸き、振興し、活性化していけばいいですよね。認定だって、うちが取ったというより、この地域でもらったというイメージが私にはあります。若い人も、産直を含めた米の自己販売をこの地域は多くやっているんです。ある意味うちが先駆けて『自分の米は自分で売ろうよ』と仲間に言ってきたことが少しずつ、実ってきたのかもしれません」。

少しずつだが確実に、地域の視線が変わってきているようだ。

継続的な改革
10年先の地域、10年先の農業、10年先の自分たち

これまで消費者に目をむけた農業をやってきたんですが、これから改めて地域に目を向けた農業をやっていきたい、と永井農場は考え始めている。

出荷 ここ10年、「自分で作ったものは自分で売らなくては」と盛んに言われてきて、マーケティングや販売の視点を自分も勉強させてもらってきた。それも大事だが、もうひとつのお客様は、この地域にあると思うからだ。東京でお米を買ってくれるお客さまと同じように、地元の兼業の農家の人達が大事なお客様。その人達がいかに満足してくれるか、という視点にもう一度戻るべきだろうと思う。それがきちんとできることによって、10年先の永井農場があると思っている。

「今年からまずそこをやっていこうと思っています。米を買う人がお客様だと思ってた部分があったけれど、この地域で農業をしている周りのおじさんやおばさんたちが私たちの大事なお客様であるという認識に立って、永井農場が使いやすい満足度の高い会社として認めていただくためにみんなで頑張りたい。それがここ何年かの課題になると思う」。

地域のライスセンターとしての役割も担っている永井農場。地元で作ったお米を、どこまで大事に扱って、消費者の満足にまでつなげられるか...。生産者にも消費者にも信頼される永井農場として、さらにこれから大きな責任を負っていかなければならない。

地元の人は、黙ってすべてを見ているから、ある意味で一番の批評家であるかもしれない。でも、その人たちが分かってくれれば、大きな理解者にもなる。足を引っ張る人もるかもしれないし、なかなかいいとは思ってくれないかもしれない。でも、だからこそやっていかなければならないと、永井さんは考える。

「お互いに地域を見ている方向性は一緒です。いかに地域の農業を振興し、良くしていきたいか、というところではやり方が多少違ったり規模が違ったりするけど、徹底的に話をすればいいと思う。方向が同じだから理解できるはずです。色々な選択肢があっていいと思う。その中で地域にあったことをいかに密度濃くできるかで地域が変わってくると思うんです」。

永井農場の根っこの所にある「この地域の農業をなんとかしたい」という気持ち。自分の田圃だけでなく、地域の田圃をお借りしながら農業をしていくことの難しさとやりがい、面白さ...。いろんな課題と可能性が、はっきりと見えてきた。

「一番の経営の核心は地域です」。

新しい農業へのチャレンジが始まっている。